一時的な快楽は苦を生むものである (バガヴァットギータ−)
ヨガには経典があります。人生をかけてヨガを学ぶための教科書のようなもの。
有名なのはヨガスートラ。バガヴァットギータとか。ハタヨガプラディピカとか。
金曜から雨が続き、土曜もお天気が悪くて、、
そんな時はどっちかというとエネルギッシュな動くヨガをしたくなる性質。じめじめを吹き飛ばすような。
数年前にバガヴァットギータを読むプライベート講座も受けたことがあり、中身はまあまあ知っているのですが、目に留まるものをサラサラと。これは皆さんにいつか伝えたいなあっていうのを何個かメモしながら。
そこで最後に目が留まったのがこちら。
5章22節 感覚器官の対象から生まれる快楽は、俗世的な人にとって幸福に見えるが、惨めさを生むものである。クンティの息子(アルジュナ)よ、賢者はそのような始まりと終わりのある快楽には喜ばないものである。
バガヴァットギータは、神の化身がアルジュナさん(弓の戦士)に教えを説くというスタイル。
感覚器官は、五感ですね。目で見る。耳で聞く。味を感じる。匂いを感じる。触った感じ。
私は晴れている日が好きなので、目で明るさを喜び、太陽の光を肌で感じ、晴れの日の匂いを感じ幸福感に包まれるわけなのですが、そこに執着しすぎて、雨の日に苦しみが生まれているのです。晴れじゃないとつらい!って。
ヨガが目指したいのは執着のない世界。あってもいいけどなくてもいい。晴れてもいいけど雨が降ってもいい。そんな世界。
五感の対象から生まれない快楽。これがあったら嬉しい、けど、なくても十分幸せ、だと意識を変えていけたらもっと生きるのが楽になりますね。
解決策として、神社に行ったり、外の雨と関係ない明るい本屋さんでふらふらと本を眺めたり、雨を嫌がらない日曜日を過ごしました。
2月にはヨガ哲学クラスをしようと思っています♪
※『哲学』は、なんのために生きるのか考える学問
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